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故障をせずに、毎シーズンサブスリー10年間続けてこれたので、これからランニングの話を書きとめたい。

ランニングを始めて、”RUN-WALK Style”との出会い

 よく聞かれる陸上経験。高校まで大阪の公立高校で陸上部に所属。1500mと3000mを専門。陸上部の友達は個性派揃いで、毎日楽しかった。走る方は大阪決勝まではいってたけど、たいした結果はなし。
 卒業後はイタリア語の勉強をするために学費がお手頃な国立の大学に入り、走ることだけではなく運動すら止めて、ただひたすら、イタリアへ行くことに思い焦がれていた。その頃のイタリア語は結構おしゃべりできたんだけど、今はどうだろか。

 そんな私が35歳になった時に、上司と同僚に誘われて、イヤイヤながらも、18年のブランクを経て、高槻ハーフマラソンの10kmを走ることに。

 でも、せっかく出るのだから、少しは練習しなきゃと思いたつ。「大阪城 ランニング ビール」で検索してヒットしたのが、RUN-WALK Styleの「みんなで楽しく走ってビールを飲む」という練習会やった。ここから私のランニングライフのスタート。

 そして、イヤイヤだったはずが、この練習会があまりにも楽しかったから、どんどん走ることが好きになっていってしまった。そのランニングの楽しさを教えてくれたのが、RUN-WALK Style三浦誠司店長やった。

走り始めて半年後、まさかの癌を患って闘病

 「まさか自分が癌になるなんて」初めて先生から聞いたときは、頭が真っ白で実感がないのに涙が流れるという不思議な感覚。

 幸い、初期のステージⅡで、転移がなく、手術と放射線治療、その後の注射と投薬治療で必ず治りますと先生がはっきり言ってくれた。その先生には、治療中、「走っていいですか?」「お酒飲んでいいですか?」しか聞かないので、いつも呆れて笑われていた。

 このときに、心の支えとして、はっきりと目標ができたのが、「支えてくれる家族や励ましてくれる友人たちに、走っている元気な姿を見せたい」という思い。これだけは今も走るモチベーション。

 

浪速路「大阪国際女子マラソン」出場を目指す

 三浦店長に指導してもらって、練習に励むうちに、RUN-WALK Styleが居場所になった。

 不思議と一人では走れないのがランニング。大人の部活というべき練習会で切磋琢磨して、応援して応援されてつながりが広がっていった。

 そして、2011年大阪ハーフマラソンで1時間28分、泉州国際マラソンで3時間6分で、翌年の大阪国際女子マラソン出場資格をゲット。

はじめての大阪国際女子マラソンでサブスリー

 この頃から、週1回の尼崎ナイトランの水曜トラック練習にも参加し、エリートランナーと走るようになり、サブスリー(フルマラソン3時間切り)というものを意識し始める。

 また、この「ゼーハー」と追い込むトラック練習がとても楽しかった。大人のデトックスというか、終わったら、仕事のストレスや体のむくみまで、すべて消えてしまったような、すがすがしさ。

 初めての大阪国際女子マラソンは、極度の集中力のあまり、最初から最後までほとんど覚えておらず、まさしく「ランナーズハイ」という状態で、タイムも一度も確認せず。持っている力の最大パフォーマンスを発揮でき、2時間56分という結果で、夢の舞台で初めてサブスリーを達成できた。
 このときの感覚はなんだったのか?もう一度味わいたいと思いながら、10年経つけど、いまだ味わえず。

それから10年間、毎シーズンのサブスリーを続けてきた

 10年の間に、39回マラソン完走、19回サブスリー。最近は、練習やレース準備について、走歴の浅い方から聞かれることも多くなってきた。

 大学の友人に「それだけ継続的に走り続けているのだし、普段のこととか知りたい人もいると思う。せっかくだし、やっていることを少しずつアウトプットしていったらいいんちゃう?」と勧められ、思い切って、ブログを始めることにした。

好きが余って、ランニング商品企画の仕事にも携わる

 仕事はランニング商品の企画経験があり、ウエアバックパックシューズジェルサプリメントなど、ランニングアイテムについても、並ならぬ興味あり。

 そんなこんなで、レースのこと、練習のこと、食事のこと、ウエアやグッズのことから、その他、「日々是好日」と感じたことを書いてみようと思ったので、「いいね!」押してもらえると励みになって嬉しいな。

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