またひとつ増えた、大切な思い出
私の12回目の大阪国際女子マラソンは、白バイに追われるレースとなった。
今シーズンは仕事も充実していて、忙しいとは言え、心身ともに安定したシーズンだった。
平日の練習会には参加できない環境なので、その分、週末は練習会に参加し、良い練習が積めていた。
つくばマラソンのあとは、2回の30kmペース走、2週前のハーフマラソンでも、余裕を持った良い感覚で走り、手応えを感じていた。
2週前の昭和記念公園でのハーフを1:27:00で、ペース走感覚で、余裕持ちつつ一定のペースで走れたので、今回は4:08/kmを設定にしようと決めた。
悪くてもサブスリー、良ければ初サブスリーしたタイムの2:56:30くらい。
心も身体も順調で、体重コントロールも上手くいっていて、何の不安要素もない。
今日は、良い感じで走れる。そう思っていた。
スタート前は、日差しが強く、暑さを感じる。手袋やアームを外すランナーも多い。
暑くなったら外せば良いかと思い、外すのをやめた。
いつもの緊張感の中、いざスタート。
やはり暑く、でもペースは悪くないし余裕もあった。5kmくらいで暑さを感じて手袋を取ったら落としてしまったが、暑いから大丈夫だろう。
森ノ宮15km地点には、母や友人たちがたくさん応援に来てくれているし、親友もボランティアでそこで待ってくれている。そこまでは、無理をしたくない。ちょうど長副練のメンバーで集団ができて、なんとも心強い。
応援がいちばん多い15km地点で、友人たちは見つけることができたが、母たちが見つけられず、不安になった。大丈夫だろうか。私を見つけられずに、ずっと探していたら大変だ。
そう思った瞬間、前の人が給水に失敗して立ち止まって、ぶつかりそうになる。
このとき、集団から少し差ができてしまう。追いつくのがなんだかきつい。ひとりになったら、リズムが怪しい。あれ、何かがおかしい?そう思いはじめた。
手袋を落としてしまった手が、冷たい。寒いなぁ。2回目の森ノ宮19kmでは、母をみつけることができた。良かった。ボランティアの友達のエールも受けて、なんとかリズムを繋ごうとするも、身体が重い。
ハーフの通過は1:28:00。寒い。身体が言うこと聞かず、鉛のような重たさを感じはじめる。
どうしよう。
御堂筋に入ったときには、完走出来るのだろうか。寒い。としか思わなくなった。
そして、大阪城に戻ってきた頃には、スピードもジョギングのようになり、追い打ちをかけるように冷たい雨が本格的に降ってきた。寒い。完走できるだろうか。
3回目の森ノ宮は30km手前だが、なんとか友達たちの応援を受けて、脚を前に進める。
いよいよ、本当に身体が動かない。
白バイが周りに見えるようになってきた。関門ってどれくらいだったのかな。
最後まで走らせてもらえるのだろうか。
もう、やっとのことで前に進むことしかできない。
悲しいし、つらい。ふらふらする。
ただただ、ゴールで待っててくれる人たちのところに、帰りたいだけなのに。
40km地点を白バイを横目に通過。あーこれで、競技場までいける。
「さぎもり、よく頑張った、よく帰ってきたな、お帰り!!!」という、マリオさんの声。
こんなにも、思うようにならず、情けないのに、嬉しくて涙が出る。
ゴールまでのたくさんの応援の花道。
泣きそうになるのを抑えながら、ゴールにたどり着きました。
ありがとう。
過去でいちばんダメなレースになってしまったけど、ゴールにたどり着けたことが、過去でいちばんに嬉しかった。
「応援する立場からすれば、ゴール前にサギさんが来てくれて本当に嬉しかったです」
ゴール後にもらったメッセージ。
待っていてくれた方たちに、心から感謝しかありません。
3:12:13
長くてつらい42.195でしたが、とても大切な経験ができたし、大切な思い出がひとつ増えた気がします。
おそらく低体温症ぎみだったのだと、今になって思いますが、
1年間、頑張ってきたことが報われなかったことは、とても悔しく、悲しい。
だけど、苦しさに向き合える42.195kmだったことも、まちがいない、と思います。
いつも思うのだけど。フルマラソンの結果は悲喜こもごも。良いときもあれば、悪いときもある。
良いときは浮かれず、悪いときは腐らず。
なんとなく、生きることにも通じるのでないかと思い、その奥深さにこれからも真摯に向き合いたいと改めて思いました。







コメント